阪和線103系の記録・クハ103 (6)-115.116.117.118

クハ103-115・116

昭和43年8月に新製以来、阪和線一筋で活躍した103系です。最初に投入された24両は同車と相方のクハ103-116が最後まで残り、意図的に残していた?と思ってしまいます(^^)昭和62年8月に阪和線では最初の延命N工事を受けた車両でした。日根野支所の6連では前面幕が順次大文字仕様に交換されましたが、クハ103-115・116は最後まで従来の小文字仕様のまま平成27年11月に廃車されました。

平成28年7月から225系5100番台6連の運用開始でクハ103-115~116は定期運用を終え、吹田総合車両所日根野支所鳳派出へ疎開、交番検査で日根野と往復、時折運用に入るという感じでした。鳳疎開中も通電されいつでも動ける状態、方向幕も訪問する度に色んな表示を見ることが出来ました。

クハ103-117

昭和43年8月に新製され阪和線一筋で活躍した生え抜き車です。昭和50年8月30日、阪和線では最初に冷房改造された編成で、平成6年4月~平成15年2月までATS-Sw搭載車として前面に白帯が入っていた時期もありました。平成25年4月廃車されています。

クハ103-118

国鉄時代はクハ103-117とペアで基本編成も変わることなく過ごしてきましたが、JR以降は平成に入ってからペアは崩れ117は一貫して阪和線で運用されたのに対し、この118は平成7年2月に淀川、平成8年6月に宮原、平成15年9月に広島、平成17年8月に宮原を経て12月に日根野へ戻ってきました。塗装もブルー→オレンジ→カナリア→ブルー→瀬戸内→ブルーと関西育ちの103系としては希少なカナリアと瀬戸内色を経験した車両です。平成17年、宮原転入時にJR東日本から譲渡された103系の中間車と編成を組み、転落防止幌はJR東日本仕様が取付けられていました。

晩年は一時期、要検の全面塗装をやめて部分補修となりパッチワークの姿で過ごしました。平成25年4月に廃車されますが、吹田への廃車回送時はTc117+M496+M’652+M391+M’547+Tc118と長年離れ離れだったクハ103-117とペアで旅立ったのが地元民としては感慨深かったです。

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