クハ103-23
昭和39年11月に山手線用として新製され品川区に配置、昭和50年8月に高槻、昭和60年3月に明石、昭和61年9月に日根野へ転入、平成11年3月の入場で相方のクハ103-24と共に阪和線の103系では体質改善車以外で初めて妻窓が閉鎖されました。平成19年7月12日に和泉橋本~東佐野間を走行中に陸橋下を通過しようとした作業車が高さ制限のゲートに接触し変状した軌道に突っ込み脱線、床板に亀裂が入るなど損傷して復旧される事なく8月10日付けで事故廃車、321系投入による転配が進められていた時期なので事故が無くても廃車は近かったかも知れませんが残念な最後でした。

クハ103-24
日根野転入までの経歴はクハ103-23と同じで、ずっとペアで活躍していました。平成19年7月12日の事故時は脱線した23と編成を組んでいたモハ103-307+モハ102-463は8月10日付けで廃車、24は日根野区留置後Tc96+M511+M’667+M512+M’668+Tc24の6連で運用に復帰しましたが、翌年の平成20年4月1日に廃車されました。初期車なので元々置き換えられる予定だったと思いますが、計画通りの引退だったのかちょっと気になります。


クハ103-30
昭和39年11月に山手線用として新製され池袋に配置、昭和49年4月に鳳へ転入してきました。平成20年3月に岡山区へ貸出され未更新のまま平成21年11月に廃車されています。相方のクハ103-29とほぼずっとペアを組み長年阪和線で活躍した車両でした。余談ですが新製以来、編成を組んでいたモハ103・102-29は平成4年に下関(翌年広島)へ転属して後に延命N40工事を受け平成22年12月まで活躍し、国鉄末期に浦和へ転属したモハ103・102-30は平成4年8月に廃車と運命は分かれることになります。未更新でもクハは長生きしました(^^)






