王寺水害で応援に来た編成の中で6両全て異色車はオレンジ・カナリアが各1本、オレンジ2両+カナリア4両の混色1本と3本あり、混色だったMc72+M’41+T268+T267+M160+M’c37の6連を製作しました。カナリア色のMc72+M’41は中原、T268+T267は津田沼、オレンジ色のM160+M’c37は武蔵小金井の組み合わせで、後に有名な3色混結になったのがこの編成です。

模型ではKATOから総武緩行線が発売されていますが、クモハ101-72は内バメ式テールライトのため総武緩行線のクモハ101をベースに関西線色の内バメテールライト部分を切り取り加工しています。

モハ100-41
M160+M’c37はユニット組替えでモハ101-160は1962年10月汽車製で武蔵小金井一筋、クモハ100-37は1958年12月日車製で三鷹から1972年10月に武蔵小金井へ転属しています。クモハ100-37は落成時モハ90でモハ101-160は当初からモハ101なので約4年の差は大きいですね、そのあたりも101系ならではと言えるでしょうか。クモハ101-38と同じく黄色の警戒帯を追加しています。

クモハ100-37 2両ともレジェンドコレクションより

中間に入るサハは2両とも200番台が組み込まれ、6連で4両MG・CP付き車両が入るというちょっと珍しい編成でした。(他に200番台のサハが2両入る編成は2本ありました)サハ101-267・268は共に下十条へ新製配置後、品川→津田沼→日根野という経歴で転入時はカナリア色でしたが1983年2月にウグイス色へ変更、電動車はカナリア・オレンジ色のままだったので101系では珍しい3色混色編成が誕生します。しかし、高槻区から103系が転入して異色車は順次運用離脱、この3色編成も4月には編成が解かれて電動車は1983年8月23日に廃車、サハは他の編成へ組み替えられ1985年2月25日に廃車されます。関西線色のサハ101が余っていたのでカナリアとウグイスの2バージョン用意してみました。


ただ、模型的には10連に入る200番台のサハは1両だけ、2両揃えるため総武緩行線を2セット購入するのは余剰車が増え予算も厳しいので、ASSYで200番台の床下をかなり確保しました(カナリア時代とウグイス時代、各2両用意したため・苦笑)
最後に関西線での運用開始時とサハ2両がウグイス色へ変更された姿を。混色では先頭車が本来のカラーで中間は異色というパターンが103系では見られましたが、こちらは本来のカラーが中間に入るというのも面白いところです(^^)




