1982年8月2日、集中豪雨による大和川の氾濫で王寺駅構内の電留線が水没、留置していた101系60両と113系40両が被災しました。113系は復旧しますが101系は全車廃車され代わりに首都圏から廃車待ちだった101系54両が応援に駆け付けたのは有名なエピソードですね。(遅れて同年12月に淀川区から6両転入して60両補完されます)応援車の中には特徴のある車両も含まれ、その中から4編成を選び再現したので順次紹介したいと思います。

今回はMc38+M’146+T’219+M129+M’125+T’c19の6連、Mc38+M’146+T’219は武蔵小金井・他は中野から、Mc38+M’146の2両はオレンジ色と混色でした。(応援車54両中オレンジ色は11両・カナリア色は13両ありました)Mc38+M’146はユニット組替えでMc38は昭和33年11月汽車製、M’146は昭和37年10月日車製となっています。異色車は「関西線」と書かれた誤乗防止ステッカーが貼られオレンジ色の先頭車は前面に黄色の警戒帯が入り、片町線や桜島線で見慣れたオレンジ色の101系でも一味違う姿で走っていました。

モハ100-146 ベースはレジェンドコレクションより
応援の特徴車からまずサハ100-219を、サハ100-200番台は元々関西地区では縁のない番台区分で、将来の電装化に備えパンタ台が設けられグロベンは6個設置されていますが、219と220の2両は新製時からグロベンが7個あった異端車で、その特徴は関西線転属後も見られました。模型はサハ100の屋根に扇風機カバー部分へグロベンの増設、床下はASSYの200番台用に交換しています。


クハ100-19
クハ101・100は桜島線などで活躍した時期はありますが、両数が少ないため関西地区では馴染みのない形式でした。クハ100-19は関西線色に塗り替えられて転入しましたが、活躍期間は短く1983年6月には廃車されています。模型は出来るだけ製品の塗装を活かしたいのでクモハ100をベースにテールライトの外バメ化、屋根はサハ100とクモハ101を切継ぎ(製作当時はクハ100のパンタ準備車は未発売)妻面の配管を撤去、床下はASSYのクハ100を入手して製作しています。

関西線色のクハ100は1両で短期間の在籍だったこともあり製品化は難しいですが、パーツの組み合わせによって比較的大掛かりな改造することなく再現できるのは101系の魅力です(^^)最後にクモハ100とクハ100の並びを。
