関西線の101系・2

王寺水害前に配置されていた関西線の101系は14本でサハが101+100とペアを組むのが基本でしたが、サハ101は13両・サハ100は15両とサハ100が多く配置され、クモハ101-100~の編成だけサハ100が2両入りMc100+M’14+T‘64+T’76+M27+M’c27で編成が組まれていました。

101系特有のユニット変更されていることがナンバーでわかりますが、クモハ101-100は昭和36年9月日車製・モハ100-14は昭和33年3月日車製と製造時期が異なり、外バメ式テールライトのクモハなのにモハはPS13パンタグラフというペアでした。

モハ101+クモハ100はナンバーこそ27で揃っていますが、モハ101は昭和33年5月日車製・クモハ100は昭和33年6月汽車製とこちらも異なっています。ユニット式とはいえ単体で組替えを頻繁に行った101系の特徴で経緯を調査始めるとキリがないです(笑)

サハ100-76は資料によると1980年11月に関西線では珍しいパンタ台やランボードを撤去してグロベンを増設した車両で(関西線では他にサハ100-59があります)サハ100同士でも異なる外観になっていたのが特徴でした。一連の関西線シリーズ製作でサハ100に余剰車が出たので原形屋根時代と撤去後の2パターン製作、模型ではサハ101の屋根をベースにグロベンを外側にずらす加工をしました。

晩年のサハ100・クハ100は準備されていたパンタ台やランボードが撤去されたりしたので特定ナンバーを製作する際、資料に撤去された年月日の記載があれば参考になりますが、ヘッドライトのシールドビーム化のように施工されても記載が無いケースもあり、廃車された今では正誤を含め中々確認できない部分で悩ましいところです。

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